Nalarが日々(?)思うことを徒然なるままに書き連ねる日記もどきです。
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個人的には,正月の恒例行事となった院展に今年も行ってきました。 会場の狭さと,それゆえの不満感(隣の作品との間隔が近い,もう2~3歩下がって見ることができないなど)は相も変わらず。 ただ,そんな中でも何か感じるものがあるのも事実です。 今回,それを強く感じさせてくれたのは小田野尚之氏の「暮れゆく」。 田舎の駅のホームの駅舎と画面奥に延びていく線路,その線路をこちらへ向かってくる汽車を描いた作品です。 ぱっと見た感じではどうということはなかったのですが,正面まで近づいて見ると,違和感(としか表現できませんが)を感じました。 何がそう感じさせるのか,妙に気になってしまって,他の人の邪魔にならないように少し下がったり近づいたりしているうちに,その違和感というか据わりの悪さのヒントらしきものが見えてきました。 絵の中に駅舎の屋根を支える柱,電柱など,何本もの柱状のものが描かれています。 当然ながら,柱ですから直線で描かれています。 フリーハンドではなく,道具を使って描かれたのが一目で分かるほどにまっすぐで,しかも全て鉛直方向に描かれています。 その縁が,「あまりにも明確すぎる」から,のように感じました。 素人の想像ですが,多分,定規くらいはつかっているでしょうし,もしかするとマスキングテープでも使ってあったのかもしれません。 ただ,その結果として,日常目にしている風景とよく似ているが故に,その違和感が強烈に感じられた・・・のだと解釈しました。 ちなみに,作品集のサイズにまで縮小印刷されていると,そんな違和感は微塵も感じられません。 やっぱり,あの大きさと表面の微細な凹凸まで見分けられる至近距離で眺められることによって得られる感覚というのは,作品集などでは感じられません。 今回感じたような感覚こそが,本物(現物)を直接見ることによって得られる物・・・の一つなんでしょうね。 PR |
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